【エッセイ】セッケスと承認欲求をめぐる考察
ミカ
風俗だと承認欲求満たされないとかオスとしての魅力でセケスしたことにならないって言う人いる。
まあそうかなと思うけど過去に風俗通いしてた俺からすると素人相手とセケスの良さはそんなに変わらない。
確かに風俗の女の子はお金さえ払えば誰でもエッチなことを許してくれるわけで、そこには「ヤレるか?ヤレないのか?」といった勝ち負けのスリルはない。ようするにセッケス成就に至る達成感がない。
そのことは認めたうえで言うが、自分がめっちゃ良かったセケスBest10のうち半分くらいは風俗の相手だ。(ちなみに自分は風俗女と100人以上、素人女と100人以上セケスした)
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そもそも男は別に自分のことを好きでは無い女でもセケスできるとわかったらめっちゃ嬉しいし勃起&射精する。
たとえば、あなたはAVを見て勃起するだろう。
射精もするだろう。
でも画面の向こうのセクシー女優さんはあなたのことが好きなわけではない。あなたのこと承認してくれてるわけではない。でもあなたは確実に性的に興奮する。このことの事実は性的興奮と承認欲求とは必ずしも連動してないことをわれわれに教えてくれる。
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ここからは私見、そして試論だ。
実は、承認欲求の満足(この女は俺に惚れてる!)というのはセッケスのゴールではなく性的興奮のキッカケのひとつに過ぎないのではないか?
惚れている女とセッケスするのが気持ちいいのではなくて、惚れている女とは事前も事後も自分と確実にセッケスしてくれるという予期、その気持ちよさが承認欲求の正体ではないか?
ヤレる機会がありさえすれば、相手が自分に惚れてなくて別の手段やプロセスであってもバッキバキに勃起するのが正常のオスではないか?
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むろん自分も相手の女の子が少なからず自分に好意を持ってることがわかりその承認欲求が満たされたときの喜びはある。
しかし、それとセケス成就の快感の直結性は薄い。
むしろ自分は「この女は別に俺のこと好きじゃないだろうな…」ってくらいの女とヤレたときのが興奮するし気持ちいい。
ごくたまに「好き!」とか言われてもむしろ距離置かなきゃって思い逆に気持ちが冷静になる。セケスがはかどらない。端的にこわい😨
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さらに考えてみる。
子どもの頃から女にモテてきた男はいる。
この手の男は、女が自分に夢中になるのが当たり前、その余波でセケスするのも当たり前。だから前者の承認欲求と後者のセケスの気持ちよさが不可分に一体化してるんだと思う。それら本来は独立する2つの現象の発生機序を認識する必要がない。
モテ男とセケスした女は確実にそいつを好きになるだろうから。
思い返すと自分がこれまで出会ってきた男のなかで、「口説く楽しさ」や「恋愛的な承認」、「"心を抱く"ことの重要性」、そしてそれを経たうえでのセッケスでなければ意味がないと説く人はいる。
こういうことを言う人は子どものころから恋愛的にモテてきた人が8割、そして残り2割はこうした"恋愛的な承認の素晴らさ"幻想に囚われた非モテ敗残者みたいな人だった。
翻って考えてみると、自分はこれまで女が惚れてくるケースが希少だった。それ経由のセケス体験がほぼゼロに近い非モテだ。しかし若いころに風俗にハマりそれと少し遅れて素人女ともそれなりの数のセケスをしてきた。それゆえにこういう認識に至った感がある。
知らんけど。
